[高等部通信4月号]学園長より~可能性の扉~②-1

2018年5月7日

2、入学式

自然学園では、4月15日(日)に入学式がありました。今年もたくさんの新入生を迎えられたことをとてもうれしく思っています。2年生、3年生の在籍生も、入学する新入生に暖かいまなざしを送り、彼らを見守る姿に先輩としての貫録が備わった堂々とした態度を感じました。私には新入生も在校生も頼もしく映りました。この1年、高等部の皆さんが、どんな成長を見せてくれるのかとても楽しみに思っています。保護者の皆様方、また今年も暖かいご声援、ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。

 

入学式の式辞を通して新入生の皆さんにも在校生の皆さんにもお伝えしたかった言葉があります。それは、「置かれた場所で咲きなさい」と言う言葉です。

修道僧を志し、アメリカへ渡り、36才という若さでノートルダム清心女子大の学長になった渡辺和子先生は、周囲が羨ましがる栄光の道とは裏腹に、彼女は才能溢れる輝かしい人生を歩んできたわけではありませんでした。誰も知り合いがいない土地で、嫉妬や妬みに晒され、思い通りにいかない毎日に彼女は心を痛めます。

「どうして自分はここにいるのだろう」「何故、こんなにもうまくいかないのだろう」

そんな彼女に、ある宣教師が英語の詩を差し出した。その詩の冒頭の一行、それが「置かれたところで咲きなさい」という言葉だったそうです。生きるということは決して思い通りにいくことばかりではありません。

望んで手にしたはずなのに、「こんなはずじゃなかった」「どうして~してくれないの」と環境を恨む日々もあるかもしれません。諦めろといっているわけではありません。

根をはれば、いつか花をさかせることができます。今成果が出ない分、いつか大きな花を咲かせることもできます。

 

 

置かれた場所は、一人ひとりが納得している場所ではないかもしれません。本当はこんなことをしたかったとか、本当はこんな学校に行きたかった、中学校時代の友だちと別れたくなかった。との思いを抱えている人たちも多いと思います。納得できないことを言い訳にして、置かれた場所で根づくことをしない人に永遠に花を咲かせることはできないのです。置かれた場所が適していたから花が咲くわけではありません。大地の奥深く根を張ることによって、花をつけることができるのです。人はそれぞれ違った試練を抱えて生まれてきます。育った環境が恵まれなかった人もいるでしょう。体に障害を持って生まれてきた人もいるでしょう。いじめを受けたり、ひとりぼっちになったりして、息苦しさを感じながら学校生活を送っていた人たちもいるでしょう。相手に向かうと言いたいことが言えない自分自身も、文章を書くことが苦手なことも、図形の問題が解けないことも持って生まれた大切な個性なのです。

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