[高等部通信5月号]学園長より~可能性の扉~②-2

2017年5月22日

 入学式でお話しした一節です、
『昨年の12月30日に89歳で天寿を全うされたノートルダム清心学園理事長であった渡辺和子先生の『置かれた場所で咲きなさい』と言う著書があります。多くの方々に愛された本でこれからも読み継がれていくことでしょう。『置かれた場所で咲きなさい』の「置かれたところは」は、自分自身で納得できない場所であることがあります。誰しもが、人にうらやましがられながら生活したいと思っています。

置かれた場所は、一人ひとりが納得している場所ではないかもしれません。本当はこんなことをしたかったとか、本当はこんな学校に行きたかった、中学校時代の友だちと別れたくなかった。との思いを抱えている人たちも多いと思います。納得できないことを言い訳にして置かれた場所で根づくことをしない人に永遠に花を咲かせることはできないのです。
置かれた場所が適していたから花が咲くわけではありません。大地の奥深く根を張ることによって花をつけることができるのです。

人はそれぞれ違った試練を抱えて生まれてきます。育った環境が恵まれなかった人もいるでしょう。体に障害を持って生まれてきた人もいるでしょう。いじめを受けたり、ひとりぼっちになったりして、息苦しさを感じながら学校生活を送っていた人たちもいるでしょう。相手に向かうと言いたいことが言えない自分自身も、文章を書くことが苦手なことも、図形の問題が解けないことも持って生まれた大切な個性なのです。

この言葉は、自分自身も含めて、その人のありのままを受け入れること。そして、そのなかに可能性を見出すことが大切なことであると教えてくれているのです。そして自分自身を見つめなおして、自分で自身のつまずきを受けいれましょう。現状を嘆いたり、人を批判したりして自分自身に言い訳をするような行為は絶対にしてはいけません。自分の至らなさに目を向け、そのつまずきの改善に努めることが大切なことになります。そして辛さに直面した時こそ大地に深く、深く根を張りなさいと渡辺和子先生は教えてくれているのです。

ですから新入生の皆さん、どうか自分の置かれた境遇や自分自身のつまずきをありがたく両手で受け止めて、その花を咲かせることを命がけで頑張りなさい。そしてその花を自分自身しか作れない花束にして神にささげる気持ちを持ちなさい。どんなところに置かれても花を咲かせる気持ちを持ち続けようとする思いが「置かれた場所で咲きなさい」という言葉の意味です。

そして皆さんのご両親そして皆さん自身が選んで入学した自然学園こそ、今皆さんが置かれた場所です。この自然学園で思いっきり学校生活を楽しんでください。のびのびとそして元気に生活してください。その中で一つずつできることが増えてくるでしょう。そのことが皆さんにとっての生きる力になります。

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