[高等部通信5月号]学園長より~可能性の扉~③-1

2018年6月19日

3、防災訓練と修学旅行について
自然学園では、5月16日に防災訓練を行いました。首都圏直下型地震を想定することはもちろんですが、昨年自然学園の近隣でも見舞われた自然災害も想定しての訓練を実施計画に反映しました3年前には、9月の台風の影響で春日部や越谷では水没地域があちらこちらで見かけられ、さいたま、春日部など6市町で41棟が床上浸水するなど各地で被害がありました。越谷市の東武スカイツリーラインせんげん台駅では線路が冠水、運転を見合わせました。自然災害はいつ起こるかわからない私たちが、いつも心にとめていなければいけない大きな危険なのです。島国であり火山国である日本は東日本大震災以降、自然災害はいつ起きてもおかしくないものとして国民の認識も変化してきました。実際、私たちが暮らしている関東地方は、箱根大涌谷噴火や鬼怒川堤防決壊による大規模浸水など身近で大規模な災害が想定されるような被害や危険がたびたび起こっています。

2011年3月11日に起きた東日本大震災でも多くの子どもたちの命が亡くなりました。つい先日の4月26日に東日本大震災の津波で児童と教職員計84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校を巡り、仙台高裁で行われた児童23人の遺族が市と県に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決の報道がありました。
自然学園では想定外の自然災害への対策の困難さはありますが、出来る限りの想定をした避難区域を限定した避難訓練を実施することで生徒の命を守る防災計画を立案実行していく考えです。

今年も修学旅行の行程として東日本大震災で被災した仙台市の旧荒浜小学校3年生が訪問しました。するでは、石巻市の大川小学校とは対照的に、避難場所として指定されていた小学校の校庭、体育館を当時の校長先生の判断で避難場所を屋上に変更したことにより非難した小学生と地域の住民の人たちの命が助かりました。現在、荒浜小学校は震災遺構として保存されていて、説明していただく震災遺構のガイド役として職員の方々が数名校舎に在中しています。校舎の被害状況や被災直後の様子を伝える写真などから、荒浜小学校を襲った津波の脅威を知ることができます。またガイドの人からの説明で荒浜小学校における、地震発生から避難、津波の襲来、そして救助されるまでの経過を写真や映像で説明していただき、当時の様子を振り返るとともに、災害の備えについて学ぶことができます。昨年私も修学旅行に同行させていただいた際には、小学校のベランダの鉄柵がよじれ、切断されている状況を津波の水圧のみならず、一緒に流されてきた家屋の瓦礫や鉄線、車などが、非常に速いスピードで津波とともにぶつかってくる様子を話していただき、なぜこのように校舎が破壊されたのかを知ることができました。津波は4階まである校舎の2階のかなり深くまで達したようでした。児童の皆さんが屋上に避難したことで命が救われたとのことでした。もし避難場所が体育館だったら、救命が困難であったことを知らされました。そのお話を聞いて泣き出す生徒もいました。
私は3年生のみならず高等部の生徒の皆さんが、7年前の自然災害の惨状を一人ひとりが、自分のこととして受け止めてほしいと思っています。現在復興の最中である東北地方および日本の再建を担うのは、来年、卒業を控える皆さんの世代であることは間違いありません。東北地方を旅先として選んだ理由ひとつとして、皆さんに地震・津波での傷跡が癒えない荒浜海岸の状況や震災に見舞われた町並みを見てほしかったからです。津波で跡形もなくなった市街地の被災した景観を見て子どもたちは言葉を失っていました。小学校の窓から見える海の方向に立ち並ぶ石碑・石仏や新しい墓石を見て胸が締め付けられる思いがしました。今後の復興を担う子どもたちに、被災地の現状を見てもらうことが今回の修学旅行の大きな意義だと思います。自然学園の生徒全員が高い防災の意識を持って真剣に訓練に臨んでくれました。皆さんが真剣に取り組んでいる姿をうれしく思いました。

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