バンブー教室:バンブーだより3月号 学園長ブログ~可能性のとびら~-2
2025年4月2日
お子様と養育者の相互関係
家庭と学校は、子どもたちにとっての心の成長の場となります。いずれかに自分の居場所を見出すことができないお子様は、発達のゆがみが生じてきます。母親との信頼関係で培ったbeing(存在価値)は、自分の居場所がない学校生活で忘れ去られ、できること、すなわちdoing(行為)だけが評価の基準になります。できない人は、まるで価値がないように扱われます。そんな環境では、誰もが自分が受け入れられているとは思わないでしょう。自分がいても良い存在である、と扱われることで自分の存在価値への信頼が生まれるということです。
子どもは母乳を与える母親の瞳を見ていて、自分で視点を向けることはできないそうです。自分の認識できるエリアに入ってきたものだけを、焦点を合わせて見ることができるのだそうです。母親の顔を見られるときは、いい事が起こるときに見られる風景であり、「見られている。ケアをしてくれる。」と言う意識が目覚めることに繋がるそうです。動物より11か月早く生まれる人の赤ちゃんは、自分をケアしてくれる人がいてくれるために、泣くことで自分をアピールして、心の成り立ちに必要なメッセージを送っているのです。そのことが、「自分が良いものだから良い事をしてくれる」と言う相互性の気づきになるのです。そして、母親との間に自分の存在価値への信頼が生まれていくとされています。
「人見知り」は生後6ヶ月前後で始まり、安全でない人を感じ取る力がついてきます。母親との関係を自分の安全基地にいれ、自分の大切な人と感じ取ることで、はじめて見知らぬ人に関心を持ち、人とつながる広がりが出てくるそうです。以上のようなことがうまくいかず心の発達が歪んでしまうと、愛着障害などお子様の目に見える問題行動が強くなるのです。そうなると、幼児期では交流的な関係が広がりにくく社会性が育ちません。肯定された記憶を持たないお子様は、失敗しても見放されない安心感が持てず、分離不安が強くなり、攻撃性が出てきます。幼児期で決まり事を守ることが出来ないお子様は、学童期になっても個人的な約束は守れず、安全と安定の基準を自分の中につくることができないままになってしまいます。
このように自尊感と自己肯定感が傷つき、他者との相互性による抑制が不均衡になると、他者に対する批判的な攻撃性が表れてくるのです。以上のことが、コロナ過前に田中先生のセミナーに私が参加してお聞きした内容です。いまでもこの話は自然学園で生徒を預かるうえで子どもたちの心の成長における発達の歪みとして、問題行動の多い子どもたちと向き合い、彼らを理解するための私自身の指針となっています。
(※コラムに掲載されたものを一部抜粋しております。)