学園長コラム 可能性の扉(続き)
2013年2月15日
今年度、話題になった、
みんながたぶん知っているだろう2人の人物がいます。
1人は、天皇陛下の冠動脈バイパス手術をおこなった
順天堂大学心臓血管外科の天野篤教授。
もう一人は万能細胞であるIPS細胞研究で
ノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥教授です。
皆さんはおそらく新聞やテレビ、インターネットを通じて
この人たちの名前を耳にしたことと思います。
この有名なお二人は、皆さんと同じように自分が
進もうとした道のりの中で大きな挫折を経験しています。
決して順風満帆の人生を歩んできたわけではありません。
天野教授は高校卒業後3年の浪人生活を経て日本大学医学部に入り、
その後卒業しましたが、働きたい病院にも就職できませんでした。
誰にも負けない心臓外科医になるとの志を持ちながら、
手術の腕をあげるために心臓バイパス手術ができる病院を渡り歩いて、
武者修行を重ねて評価を得ました。
そして順天堂大学の教授になり、
東京大学医学部病院にご入院されていた
天皇陛下の狭心症の手術に招聘され、
成功させたことで一躍有名になりました。
大学に残り、キャリアを重ねて、
大学教授を目指す従来のエリート医師たちの道のりとは、
まったく異なった歩みに思います。
ノーベル生理学賞を受賞した山中伸弥教授の場合は、
神戸大学医学部卒業後、
国立病院機構大阪医療センター整形外科の研修医として
キャリアをスタートさせましたが、
手際の悪さと些細なミスが重なり、
指導医から毎日のように「じゃまなか」といわれて
怒鳴られていたようです。
ご本人も「手術が下手で20分~30分で終わる手術が2時間もかかった」と
当時を振り返って話しています。
自分でも適性のないことに気づき、
大阪市立大大学院の薬理学を志し、
そこで研究の基本を学び、基礎研究に没頭しました。
山中教授はここで自分の適性を開花させました。
その後アメリカに留学して研究を続け、
再び日本に帰国しましたが、研究資金もなく、
元実験室のマウスの世話に明け暮れていました。
そのせいで「やまちゅう」とからかわれるようにもなりました。
半分うつ状態で気持ちが折れそうになり、
研究をやめようと思ったとき、
奈良先端科学技術大学の助教授職の公募に採用され、
研究者としての恵まれた環境を得て
現在に至る実績を次々と残していきました。
高等部通信1月号 学園長コラム 可能性の扉より抜粋