[高等部通信4月号]学園長より~可能性の扉~⑤-2

2019年6月11日

 学習面で言うならば、聴覚的短期記憶が弱いというのは学習の場に参加するモチベーションを著しく低下させます。絵や写真、文字カードを使いながら、視覚的な支援をせずに、ただ、説明中心の授業が45分間継続するならば、授業そのものに参加できない状況が生まれ「学習性無力感」が子どもたちに生まれると言っています。
そして小学校でも学年が上がるにしたがい勉強が難しくなると言われています。国語など急に文章が難しくなり、文章で自分の意見をまとめ、定められた字数の解答欄に記述するような問題が多く出題されるようになります。他の教科も同様に読解力、記述力、表現力が必要となる学習の難易度が上がるにつれて必要とされてきます。そうなると高いレベルの学習は「読む、書く」の高い能力を必要とされると言うことになります。
「読む」能力が極端に弱い障害をディスレクシア、「書く」能力が極端に弱い障害をディグラフィアと言います。「読む」ことが苦手な生徒は文章がうまく読めないなど音韻処理と言う最小の音の単位の認識、処理ができないつまずきを持っています。促音拗音(きゅうり、きって、きゃくの「ゅ、っ、ゃ」など)や特殊音節(ボ-ルなどの「ー」)など文字と音の変換が苦手で読むことに困難さが生じます。聴覚のワーキングメモリの容量の少なさも音韻処理の困難さに影響を与えています。書くことが苦手な生徒は眼球運動の遅さなどで文字認識の困難さが生じ、文字がぼんやり見えたり、かすれたり、逆さに見えたり、点に見えたりします。このようなつまずきが知的な問題から来ているわけではありません。学習に必要としているすべての力が脳のはたらきの問題ではなく、脳の中枢神経の機能のつまずきが起因していることで生じる問題であると説明することが一般的になっています。

このようなことから学習するうえで長い文章を正確に速く読むことが困難で音読遅い困難さが生じます。行を抜かす、語句を飛ばす、逆さ読みや書くことに関しても字の形をうまく模写できず、いびつな形状でしか書き取れず枠や行からはみ出してしまうこともあります。そしてこのつまずきは漢字や英単語が覚えられないことや読み間違え、覚え間違いにつながることが珍しくありません。そして板書の際の文字や記号を頭に残す短期記憶や似た音を聞き誤ることや一斉に支持を聞き逃しやすいなどのワーキングメモリの問題に直結しています。

 あらゆる学習は文字や記号の認知なくしては成立することができず、数学や理科においても文章理解がなければ応用問題などには対応できません。
子どもたちのそれぞれの得意な認知の仕方に気づかせ(または認知しやすい環境を提供し)、苦手である認知のつまずきを補うことで必ず学習成果が出てくのです。

学習性無気力の状態とは、漢字の習得ができないと一方的に叱責されたり、できないことを無理やりやらされたりして、その外的苦痛から逃れることができないときに生まれる未学習です。未学習とは苦手なことから意識的、無意識的に逃れようとして、経験し習得しなければいけない学習を身に付けることのできない状況を指します。

今までお話ししていたようなつまずきは、目にみえない障害なのでなかなか周りからは理解されにくいのです。成績や運動能力は逆に高い人もこのようなつまずきを持った人に入るのです。だから他の人からはなんの問題もないのに何でこの人やらないの?まじめにやろうとしないの?と思われてしまうのです。それがいじめの原因にもなってくるので本人はとても息苦しく感じていると思います。そのことが高いストレスになって情緒の混乱など2次障害に結びつくと考えられます。

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