[高等部通信7月号]学園長より~可能性の扉~③-1

2017年8月1日

3、修学旅行について

3年生の修学旅行に行ってきました。

自然学園では、毎年5月に高等部3年生が修学旅行を実施しています。昨年は滋賀県の長浜城から琵琶湖を見渡し、真田幸村が若かりし頃見たであろう風景を一望することで当時の戦国武将に思いを馳せました。2日目はUSJで楽しみ、最終日は定番の清水寺や平安神宮など京都の歴史ある街並みを散策しました。今年度はみちのくの旅になりました。5月24日から26日の2泊3日の日程でした。

天気予報では雨が多い予報だったので、何とか天候が崩れないことだけを祈っていました。東北新幹線で大宮から乗車して一関駅で降りました。予想どおり空は厚い雲で覆われていてすぐにでも雨が降ってくるような雰囲気でした。せめて平泉を出るまでは、「雨よ。降らないでほしい。」と言う思いで空を見上げていました。

1日目は、最初に世界遺産である岩手県の中尊寺金色堂を皮切りに奥州藤原氏の栄華の足跡に思いを馳せ、源義経など歴史に翻弄されたゆかりの地である平泉を訪ねました。
ちょうど中尊寺金色堂の見学が終わったあたりから雨が降り出し、次第に強くなってきました。生徒の皆さんは、途中の参道で見た古代蓮にはるか遠い平安時代に思いを馳せていました。4代藤原泰衡の首桶から発見された蓮の種を800年もの時を経てよみがえらせた蓮で歴史のロマンを感じます。特に男子生徒は喜んでいました。

修学旅行の前に岩手県、宮城県を中心とした東北地方の事前学習会を開催し、私が講師を務めました。再三に渡り大和朝廷は、金や馬の略奪を目的に東北地方に住む蝦夷(えみし)の征伐を行い、蝦夷はこれに交戦し、最後まで抵抗を続けた阿弖流為(アテルイ)は今も英雄として語り継がれていることやその後も蝦夷の子孫や東北地方の豪族たちの子孫はその地で繁栄し、源氏が台頭するきっかけとなる前九年や後三年の役を経て藤原3代による平泉の浄土教文化が栄華を誇り、源頼朝に滅ぼされるまでの歴史を講義し、3代秀衡の息子泰衡によって源義経が自害する経緯やその泰衡のさらし首にされたミイラまで藤原3代のミイラとともに祀られている世界遺産である中尊寺金色堂のエピソードを前以て話しておきました。

実際に中尊寺の案内を務めてくれたベテランの男性のガイドさんとの立ち話でも、東北地方でかつて栄華を誇った平泉文化を今でもとても大切に思っている気持ちが伝わってきました。東北地方の人たちの平泉に対する思いや地域によって語り継がれている歴史観に人の情と親しみを覚えました。ガラス越しの金色堂にすこしがっかりした様子もありましたが、歴史的な背景を理解したうえで、中尊寺金色堂を見学したので、子どもたちも世界遺産の重みを少しは感じとりながら、興味深くガイドさんの説明を聞くことができたようです。

そのあと宮沢賢治童話村を見学しました。だれもが一度は、賢治の文学に触れたことがあると思います。賢治の小説を読んだことのない人でも小学校の国語の教科書や中学校の国語の教科書で賢治の作品を勉強した記憶はあると思います。童話を超えたシュールな独特の賢治の世界観は世界中の読者ファンを今なお魅了し続けています。
その原点は、賢治が生まれ育った岩手県花巻市にあります。そこから見える岩手山、小岩井農場、草木や星空など自然のすべてが賢治の小説の重要な題材になっています。
宮沢賢治童話村は、それらの小説のモチーフを展示し説明している「賢治の学校」や童話の一部分を文章の掲載とともにジオラマで表現されているブースや、神秘的なオブジェや幻想的な宇宙空間など賢治の小説に描いてある世界観を表現しているブースなど、なかなか想像力が働かない空想力に乏しい人たちにも賢治の童話の世界にどっぷり浸ることのできる展示物の数々でした。『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』など、まるで小説の中に迷いこんだような不思議な思いに包まれました。生徒たちは、若き賢治に出会ったつもりになってイーハトーブに描かれた理想郷のモデルの地を体感できたようです。

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